心の琴線にふれる作品でニーズを
2016年 10月 19日
神戸Atelier seedさまでの個展も、そろそろ終盤を迎えております。
さて、ある音楽に出会ったときに鳥肌がでて感動する
という経験がよくあります。
アーティストは狙ってその曲を作ったのか、
天才肌でありのままにかいたのかわかりかねますが
心の琴線に触れることがあります。
先日、東京でアート活動をしている従姉妹とやりとりしていたのですが、
「自ら好きなように思うがままに表現できて、さらにニーズがあれば尚良し」
というような同じことを考えていたことが判明しましたが、それが難しい。
やはり商業用の仕事となると、たいてい自らの思うがままを押さえたり、
欲のままにはうごけないのだなあと実感しました。
今回の個展でも、私はあまりにも自由奔放に表現しすぎた、という反省があります。
やはり、ニーズを考えないと・・・それらを手に持ち、街を堂々と歩けるか?
その点を深くつきつめていくと、やはり無難な、
クセの強くない作風にならざるをえません。
最終目標は、自由奔放さが良い意味で、人々の心の琴線に触れるまで
自らの心を鍛えていかなければならないと思いました。
さて、ある音楽に出会ったときに鳥肌がでて感動する
という経験がよくあります。
アーティストは狙ってその曲を作ったのか、
天才肌でありのままにかいたのかわかりかねますが
心の琴線に触れることがあります。
先日、東京でアート活動をしている従姉妹とやりとりしていたのですが、
「自ら好きなように思うがままに表現できて、さらにニーズがあれば尚良し」
というような同じことを考えていたことが判明しましたが、それが難しい。
やはり商業用の仕事となると、たいてい自らの思うがままを押さえたり、
欲のままにはうごけないのだなあと実感しました。
今回の個展でも、私はあまりにも自由奔放に表現しすぎた、という反省があります。
やはり、ニーズを考えないと・・・それらを手に持ち、街を堂々と歩けるか?
その点を深くつきつめていくと、やはり無難な、
クセの強くない作風にならざるをえません。
最終目標は、自由奔放さが良い意味で、人々の心の琴線に触れるまで
自らの心を鍛えていかなければならないと思いました。
by atelier-madoka
| 2016-10-19 09:42
| 制作過程